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東京高等裁判所 昭和56年(う)1529号 判決

本籍

大分県北海部郡佐賀関町大字白木二三九三番地

住居

東京都三鷹市井の頭四丁目五番八号

会社役員

姫野友孝

昭和七年一〇月三〇日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五六年七月二〇日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人及び弁護人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官宮本喜光出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人芥川基名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官宮本喜光名義の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

そこで、調査すると、本件は、ビル建設の基礎工事業を営む被告人が不正の方法により事業所得の一部、不動産所得、利子所得及び雑所得の全部を秘匿したうえ、昭和五二年分について六、二九九万八、八四六円あった実際所得を一、二二五万四、九一六円と、三、二九九万四、一〇〇円となるべき税額を二九六万七、九〇〇円とする虚偽過少の確定申告をして、所得税三、〇〇二万六、二〇〇円を逋脱し、昭和五三年分について六、四三一万五、三〇〇円あった実際所得を一、七五七万五、五二五円と、三、三八一万三、八〇〇円となるべき税額を五三五万七、一〇〇円とする虚偽過少の確定申告をして、所得税二、八四五万六、七〇〇円を逋脱し、昭和五四年分について四、一四〇万九、三六二円あった実際所得を八八三万八、九七〇円と、一、八五三万八、九〇〇円となるべき税額を一五八万六、三〇〇円とする虚偽過少の確定申告をして、所得税一、六九五万二、六〇〇円を逋脱したという事案であるところ、本件の犯情については原判決が詳細に説示するとおりであり、三年分にわたった右逋脱の合計額が七、五四三万五、五〇〇円の高額であること、所得の秘匿率が約七二パーセントから約八〇パーセントに、税逋脱率が約八四パーセントから約九一パーセントに達し、いずれも高率であること、不正の手段が、いずれの年分についても、継続的に行っていた工事売上高の一部除外、必要経費の水増し及び手形割引収入等の全額除外などであって、計画的積極的であること、被告人が過去に二回税務調査を受けているのに、敢えて本件にいたったことに徴すると、被告人の刑事責任は重いといわなければならない。そうすると、被告人には全く犯罪歴がないこと、被告人は医師に大腸ポリープを発見され、自己の健康に不安を感じ、家族のための蓄財を図り、脱税に拍車をかけたこと、本件の処罰により被告人の建設業者の資格に影響を与えるおそれがあること、被告人は本件に関する脱税額、付帯税及び関連地方税を完納していることその他所論の指摘する諸事情を十分斟酌しても、被告人を懲役一年二月及び罰金二、二〇〇万円、但し懲役刑につき三年間執行猶予に処した原判決の量刑は相当であり、これが重過ぎて不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 杉山英巳 裁判官 新田誠志)

○ 控訴趣意書

被告人 姫野友孝

右の者に対する所得税法違反被告事件の控訴の趣意は、次のとおりである。

昭和五六年一〇月九日

弁護人 茶川基

東京高等裁判所

御中

原判決は刑の量定が不当である。

卯ち、本件は所得税法違反であるが、原判決の量刑は、(一)同法だけの次元から見ても諸情状を勘案するとき、重きに過ぎるものであり、(二)更に同量刑の間接的な(右法以外の法規に基づく)効果をも考えるなら甚だしく酷なもので重すぎると言うべきである。

以下その理由を述べる。

一 (本件犯行の諸情状に関して、所得税法の限りでも量刑が重きにすぎる理由)

1 行為時法によれば、刑の最高は〈1〉懲役三年、〈2〉罰金脱税額以下であり、〈1〉〈2〉は必要併科ではない。

従って、原判決の量刑は、脱税額には観念上上限のないこと及び現実にも被告人の本件脱税額を上回ること拾倍、百倍単位のものが存することを考えるとき、その限りですでに重きにすぎるものである。

即ち、諸情状を一切捨象した脱税額の客観的数字そのものだけの点でいっても、数拾倍の脱税をなし且つ費請済みで事後的に納税されない場合でも右程度の最高刑なのであるから、これとの比較権衡上すでに重きにすぎるというべきである。

2 第二に本件犯行の動機には同情すべきものがあり、且つ、自己の為のものではない。

即ち、被告人調書で明らかな通り本件犯行は、三年以内のうちにガンにかかるという脅迫観念の下になされたものである。この現代最大の不治の病であるガンにかかるということの本人に与えるショックの大きさは今更言うまでもなく、通常であれば、自暴自棄になりあるいは安易な快楽に走り、又、暗たんとした生活に走る等いずれにしても完全な自己中心に走り、仮りに脱税等をなしたとしても自己の放埓の為の資金の為であることがほとんどであり、それが又弱い人間の常であろう。しかし、被告人の場合はそれが自己の病をよりはやめると知りつつ前にもまして働いて家族に金を残そうとしたものである。法に反したとはいえその情は汲むに余りあるというべきである。

3 第三に、事後的とは言え修正申告等により本税等はすでに納付され、税金そのものの未納はなく、その意味での実害は結果的にない。

4 第四に、将来的には事業も法人組織にし、税理士の指導の下にアカウンティングも正確になし、納税にぬかりなきことが期待されその意味で再犯の虞は全くなく、且つ、本人の反省にも顕著なものがあり更生は疑いない。

5 第五に、付随的情状として、本人に前科前歴なく、他の点でも正常な市民として父として夫としてまともな生活を送っており、又、健康状況にも同情すべき点がある。

6 以上の諸点を鑑みると、その限りですでに原判決は重いといわざるを得ない。

二 (本件量刑の過酷な間接的効果―実質的な罰の過大さ)

右一で述べたように純粋に所得税法の範ちゅうで見ても重きにすぎるが、それ以外に原判決の量刑には決定的に過酷な点がある。

即ち、おそらく原判決はそこまで検討考慮の対象とされていないと思われるが、原判決の懲役一年二月の量刑は被告人にとって致命的であり、将来の生計の途をとざし、家族に過大な苦痛を科するものである。

即ち、被告人は調書からも明白な通り、学校も工業学校を卒業し以後一貫して土木建築を専門としてきたものであり、今後の仕事も生計をたてる方法も現在の土木建築の基礎工事の仕事をして行くしかないのであり、従って、原判決も摘示の通り会社組織にして経理的にもしっかりやっていく意向である。

しかし、原判決の量刑ではこれが全くできなくなってしまうのである。

即ち、右工事の仕事は建設業法に所謂建設業であるから当然同法所定の許可を要し、被告人も既にこれを得ているものであるが、同法によれば懲役一年以上の刑に処せられると許可が取り消しとなるのであり、又、刑の執行を終るか受けることがなくなるかの日から二年を経過していないことは許可の消極条件である(同法第二九条第八条五号)。従って、原判決は被告人に対し、法人組織にあらためると否とを問わず、最低五年間右仕事の道を閉すものである。

而して、この道を閉された被告人に於ては、その経歴、健康状態からみて他に生計の道を得るに困難なことは想像に難くないから、ほとんど生計の道を失ったといって良く、従って、家族に及ぼす影響も深刻極りない。

原判決も明らかにそこまでは希求しておらず、量刑に際し右の点は考慮されていないものと思われるが、それ程実質的影響の大なる重きにすぎる量刑である。

被告人の生計の道、更生の道を残す意味でも、少くとも懲役一年未満が至当と考慮する次第である。

三 結句

以上要するに原判決の量刑は、その間接的な実質的な影響まで考慮すると過酷にすぎると考えられる。

よって、至当な刑に減刑されたく控訴に及んだものである。 以上

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